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硫黄島慰霊
硫 黄 島 に つ い て
硫黄島は東京とサイパン島のちょうど中間地点に位置します。
第二次世界大戦の激化とともに本土防衛の最前基地となりました。
硫黄島における戦死者の多くは、米軍の砲弾等の猛攻撃によるものと考えられていますが、火炎放射、注水、射撃、手榴弾攻撃により、地下壕の最奥部に追い込まれて、戦死・戦病死されている人々も多いと推測されています。
旧日本軍地下壕入り口 (高田和宏氏撮影)
戦 没 者 供 養 に つ い て
昭和20年2月から3月にかけて、硫黄島において日米両軍による激しい戦闘がありました。
日本軍兵士は20,192名が玉砕し、アメリカ兵は6,821名が戦死しました。ほかにも硫黄島島民で軍属として島に残された80名のうち、ほとんどの人が亡くなりました。
(宗教法人)行行寺は、硫黄島に一番近いお寺です。毎朝のおつとめで玉砕兵士・戦死戦病没およびアメリカ兵に念仏回向を捧げています。
なお、昭和20年3月17日から18日にかけて、日本の兵士は玉砕しました。この日をもって組織的な激しい戦いは終わりました。毎年この日に硫黄島戦死の方々に念仏回向を捧げていただければありがたいと思います。
「 硫 黄 島 を あ お ぐ 」を 出 版
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